ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

2010年3月8日(月) 1回爆発して、こなごなになってしまった自分の破片を、いま一生懸命あつめて、くっつけ合わせている最中だ。ところどころ、スキマや穴が開いた状態のまま、生きていくしかないんだろうな

まだ、めそめそしている。

折に触れて、涙が出る。

 

自分の処遇についても、もちろんだけど、職場の方も相変わらずいろいろ大変そうで、それをZさんから愚痴っぽく聞かされたり、Hオフィスでいろいろ見聞きしてしまうのが辛い。

職場の現状に、何も対処できない、解決に貢献できない自分の現状と、過去の自分がそのことを何も解決できていなかったという無力感と、両方とも突きつけられてしまう。

 

自分は自分なりに一生懸命やったつもりだったけど、結果をちゃんと出せなかったのは動かしがたい事実だ。

そして、今、何もできないし、将来も結果をだせそうにない、結果を出せるだけの力が自分に残っているのか、取り戻せるのか、わからないけど無理そう。

過去も、現在も、未来もダメ。

 

特に過去。

一生懸命やったとしても、ダメだったものはダメだった。そういうつもりでなくても、例えば過失致死罪みたいなもので、過失であっても罰は受けなければならない。

今思うと、自分が総務部長だった時代に、うつ病→自殺 とかになってしまう人が出なくてほっとしている。

もし誰か、自殺でもしてしまったら、悔やんでも悔やみきれない。

自分もウツ病になってみて、「自殺」がどれだけ近くにあるか、わかってしまっただけに。

 

そうなる前に、誰かをひき殺しちゃう前に、無謀運転を止めれて良かった、と思う。まあ「止めれた」というよりは、自分で壁に激突して壊れちゃったのだけど。

自分がだれかを(意図せずにでも)死に追いやってしまうぐらいなら、自分がウツ病になって自殺してしまう方がマシな気がする。

それに比べたら、給料が日割りになるとか、些細なことだと思う。

 

自分がもっとも辛いのは、自分の大切な人を、自分のせいで(おちどで)苦しませたあげくに死なせてしまうことだろうか。

 

うつ病からの職場復帰に関するウエブサイトとかを見ていると、「人を大事にする経営」とか書いてあり、涙が出る。

とにかく私には無理。

自分が壊れちゃう。

 

1回爆発して、こなごなになってしまった自分の破片を、いま一生懸命あつめて、くっつけ合わせている最中だ。

完全に継ぎ目なく、欠けたピースや細かい破片も1つもなしに元通りにつなぎ合わせられるとは思えない。ヒビや、つなぎ目がいっぱいあって、もしかしたらところどころ、スキマや穴が開いた状態のまま、生きていくしかないんだろうな。

 

そういう状態でも、それなりに充実した人生を、これからどうおくるのか、ということを今、立て直しているところ。

 

病気になって初めて、そういう気持ちになりました。以前の私にはわかりませんでした。

だから、過去の私は、あるいみ、死んでしまったのです。

「前の緋寒桜ちゃん」は二度と戻らないと思います。

その代わり、ほんのちょっぴりだけど、少し優しい人になれるかなーと思うんだけど。