ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

「誰もあなたのことは要らないと言っている。ついては、あなた自身はどう考えますか?」

だいぶご無沙汰してしまいました。緋寒桜子です。

書き込み自体は約2カ月半ぶり、本来のブログ記事は4カ月半くらいになります。

またまた頑張って再開です。

 

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このブログは私の「ウツ10年超え」の経験をまとめてみようと、書き始めたもの。

2008年夏にウツを発症し、これを書いている今の2020年10月の時点でも、通院と服薬は続いています。(いつのまにやら、ウツも12年を過ぎてしまいました。)

 

日記では、2008年夏にウツ発症 →休職 →在宅勤務で仕事再開 →郊外のサテライトオフィスへ通勤 →少しずつ本社へ・・・というところまで書いています。

 

「うつ日記」の方はその後も延々と続きがあるのですが、状態が激しかったのは、やはりこの「最初の3年」ほどで、ちょうどブログに書き終えた2012年夏以降あたりから、自分が次のフェーズ(段階)に入っていたように思います。

 

そこで、2012年8月以降については、細かいことは、また機会があれば書かせていただくこととして、それよりもここ数年と最近の私の状況を中心に書かせていただこうと思います。

 

というのは、2020年1月21日付記事にも少し書きましたが、現在の私は「職場をクビになりそう」な状態です。

 

自分としては、ウツを発症したこと自体、(自分の主観としては)仕事のストレスによるもの。いわば「労災」のようなと感じていました。

それなのに、その「自分が心を壊してまで懸命に尽くした(つもり)の職場から、『厄介者』扱いされて、クビを切られようとしている、排除されそうになっている」という現実に、愕然とせずにはいられません。

これが、正直な気持ちです。

 

今のところはまだ、解雇までは進んでおらず、一応、まだ正社員ではあるので、 恵まれている方なのだとは思います。

ウツか否かに関わらず、新型コロナの関連などで、解雇や雇止めなど、本当に大変な思いをされている方も多いと思います。そのような方からすれば、私のこのブログなど、腹立たしいほど甘いと思われてしまうかもしれませんが、自分の正直な思いをここに書いていきたいと思います。

少しでも、どなたかの、何かの参考になればと思い。。。。

 

 

 

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私が職場から「厄介者扱いされている」気配は、実のところずいぶん前からありました。

 

ウツ病で休職した当初~2年間ほどは、「腫れ物に触るよう」な感じで接してもらえていたと思いますが、3年目に入り、職場復帰が進み始めたころから「お荷物」扱いされている気配はありました。 

でもその頃は、まだ自分のウツを何とかするのが精いっぱいで、周りの目を気にする余裕はありませんでした。

 

 ウツのせいで、うまくやれないことも多いけれど、頑張っているので、長い目で見守って欲しいと願っていましたし、周りの多くの人もわかってくれている、と思い込んでいました。

 

もちろん、私がウツになったあとに入ってきた新入社員などは、ウツになる前の私を全く知らないのですから、「単なる具合の悪そうなおばさん」と見られてしまっても、しかたないです。

でも、私がウツになる前に、長く一緒に仕事をしてきた人たちが、まだ職場にたくさん残っていました。そういう人たちは、きっと、わかってくれている、私が回復するのを待っていてくれている。そう、思い込んでいました。

 

でも、ほとんど、そんなことはなかったようです。

 

ウツから復帰を進めていく中で、業務上のストレス(うまく行かないことがあったり、予定が狂ったり)があると、うまく気持ちのコントロールができなくて、感情的になってしまうことがありました。

自分としては、ウツなのである程度はしかたない、と割り切っていたのですが、周りはそうでもなかったようです。

ちょっとした(と私は思っていたのですが)言い争いなどが、「パワハラ」、「トラブルメイカー」とされてしまったようです。

 

(ここで「ようです」と書きましたのは、一度も、具体的にはっきりと指摘されたことがないからです。)

 

そして2016年、上司に呼ばれ「誰もあなたのことは要らないと言っている。ついては、あなた自身はどう考えますか?」と言われました。

 

頭が真っ白になりました。

 

ただ、その時、「辞めて欲しいなら、『辞めてくれないか』とはっきり言えばいいのに、『どう考えますか』という言い方は、卑怯なのでは?」と思いました。

結局その場では即答しませんでした。

 

それから数日後、自分から「辞めたくありません」と答えました。

自分としては、これまで頑張って、やっと職場復帰が進んできたところ。「これから本格的に、仕事を頑張ろう」と思うようになっていたところでしたし、実際、体力や気力がだいぶ戻ってきたなぁと実感できるようになっていた時期でした。それに心を壊すほど尽くしてきたこの職場に、愛着(執着)もありました。

 

結果として、私はそれまでいた部署(カスタマーセンター)から、ウツのリハビリで通っていたサテライトオフィスに異動することになりました。

この時点ですでにサテライトオフィスは閉鎖が決まっており、明白な閑職ですが、否やもありませんでした。

 

(続く)