ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

「パワハラされた」と訴えられて

みなさんこんにちは。

またまた、はなはだしくご無沙汰してしまいました。

緋寒桜子です。

 

なんと、前回の書き込みから5カ月ぶり。

もはや、「ブ『ログ』」などとはいえない体たらくですね・・・

 

まあ、引き続き、ぽつぽつと書き続けて行けたらと思っています。

 

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さて、2016年に私は上司に呼ばれ、「誰もあなたのことは要らないと言っている。ついては、あなた自身はどう考えますか?」と言われ、頭が真っ白になったのでした。

はっきりとは言われないものの、これは要するに「退職勧奨」。

 

自分としては、ウツで一時は家から外に出られないような状態だったのを、頑張って、やっと職場復帰が進んできたところ。

「これから本格的に、仕事を頑張ろう」と思うようになっていたところでしたし、実際、体力や気力がだいぶ戻ってきたなぁと実感できるようになっていた時期でした。

それに心を壊すほど尽くしてきたこの職場に、愛着(執着)もありましたので、「辞めたくありません」と答え、結果として、私はそれまでいた部署(カスタマーセンター)から、ウツのリハビリで通っていたサテライトオフィスに異動することになったのでした。

 

この時点で、このサテライトオフィスはすでには閉鎖が決まっており、特に仕事があったわけではないのですが、名目上、私の業務は、このオフィスに保管されていた「資料の整理・移送」ということになりました。

実際には、資料はほぼすべて廃棄するしかなかった(移送しても保管場所がない)ので、事実上は仕事はほとんどありませんでした。

 

それでも毎日通えば、何かしら仕事はあるもの。

ちょっとした仕事でも、頑張って積極的にやるように努めました。

それが良くなかったみたいです。

 

というのは、私のほかに、このサテライトオフィスに数名のスタッフがいたのですが、この人たちは勤務地限定採用だったため、オフィスの閉鎖と同時に解雇されることが決まっていました。

このスタッフたちは、後から入って来た私があれこれ手を出すのが、面白くなかったようなのです。

そしてそのうちの一人と、ちょっとしたことからトラブル(口論)になってしまい、この人から「緋寒桜子さんからパワハラされた」と訴えられてしまったのです。

 

私にも非があったと思います。

言い方がきつかったり、解雇されてしまう人たちの気持ちに寄り添わずに意見を言ったりしたのだと思います。思いやりが足りなかった。

 

だけど、いまだに納得できないでいるところもあります。

 

このときは、急に上司に呼び出され、「○○さんからあなたに対してクレームが来ています。どうしますか?」と言われました。

私がショックでしばらく何も言えずにいると、この上司は急に「明日から、あなたは別室に席を移しなさい」と一方的に命じました。

 

○○さんのいう「パワハラ」が、具体的にいつの、どんな言動を指しているのか、などの説明は全くなく、それに対する私の側から事情説明や弁明なども一切聞いてもらえませんでした。

私には釈明する機会も与えられず、一方的に処断されてしまったのです。この時の上司のやりとりは、5分程度だったと記憶しています。

 

しかも、このときの「パワハラ」については、その後いちども話はなく、始末書などを書かされたりすることも全くありませんでした。

なので、会社から正式に『処分』された事案なのかどうか、いまでもわかりません。

(このことが、今の私の処遇に関係していると思うのですが)

 

こうしてまたしても「追放」され、みんながいる部屋とは別室に、一人机を置いて、サテライトオフィスでの残りの期間を過ごすことになりました。

 

別室はエアコンの効きが悪く、ちょうど冬場に差しかかっていたので寒かった。電話機もありませんでした。

スタッフの人たちとは、私に対して「クレーム」を言った方も含めて、それまでと変わりなく、なごやかに挨拶などは交わすようにしましたが、極力接触は避け、なるべく必要最低限のやりとりだけにするように気を付けて過ごしました。

 

もちろん、悔しく、悲しく、追放されて1~2週間ほどは、家に帰ると毎日泣いていました。

何を持って「パワハラ」と処断するのか会社に問いただそうと考えたり、労働関係の行政窓口に相談しに行こうかと考えたりしました。

夫もしばらくは「オレが会社に抗議しにいってやる」と息巻いていました。

 

今考えると、確かに、直後に動いた方が良かったかもしれないな、と思わないでもないです。

 

いま現在も、私は「干されて」いるのですが、その待遇に、この時のことが遠因となっているような気がするのです。

 

正面きって「パワハラしたのか」と聞かれれば、自分なりに弁明もできるし、反省を行動で示すこともできる。

でも、誰も口に出さないので、自分から釈明することもできない。

「緋寒桜子さんはパワハラを起こす、問題社員でトラブルメイカー」っていうレッテルが、貼り付けられているような気がするけど、本当に貼られているのかどうか判然としないんですから、はがす道筋も機会もないのです。

 

 

こうやって、一度貼り付けられたレッテルは、一生ついて回るのかなあ、と思っています。

 

ともあれ、このときは、私は唯々諾々と指示にしたがい、別室で大人しくする道を選びました。

(続く)