2010年3月10日(水) ただ泳ぎ続けることが人生なのかもしれない
まだぐすぐすしている。
何か、波がチャプチャプしていて、ふいにうわ~っと大波がやってきて、だあ~って悲しくなって、涙がどお~っと出て、しばらく(数分)すると、すぅ~っと波が引いて、悲しくなくなる、って感じ。ふしぎ。
もちろん、通底にはいろいろな考えが渦巻いているんだけど、「泣きたい」っていう衝動は、数分おきに数分間続いては、だんだん波が小幅になって、収束していくって感じ。
波が引いてるときは、「あれ? 何で私、今泣いてるの?」ってくらい平静な気持ちになる。
それでまた少しすると、うわ~~ってなるのだ。
生きることって、広い海を泳ぐことに似ているかな。
岸に向かって一生懸命、泳いでいるけど、ほんとうに、その方向に岸があるのか?
ほんとうに、岸に近づいているか?
潮に流されて、思っているのと違う方向に流されていないか。
むしろ出発点の方へ押し戻されていないか。
一緒に泳いでいると思っていた人が、実は全然ちがう岸辺を目指しているかもしれない。
前や後ろを泳いでいる人がいると思っていたら、実はただの流木で、人なんかじゃなかった。
でも、誰も止まれない。
泳ぐのをやめたら、ぶくぶくと沈んでしまう。
岸に泳ぎ着くことがゴールだと思っていたけど、実は、ただ泳ぎ続けることが人生なのかもしれない。
水が冷たくて凍えそうだったり、波が高くて水をかぶって沈みそうだったり、サメが襲ってきて足を食われちゃったり、泳ぐのが困難になっても、それでも泳ぎ続けるしかない。
今まで私が泳いでいた海は、地球全体、人類全体から見ればそうとう穏やかで、泳ぎやすい海だったかも。
もっと厳しい海にいる人は、どうやって泳ぎ続けているのだろう。
「岸はある」と思える人はしあわせ。
一瞬でも「岸にたどりついた」と思えたことがある人は幸運。
岸なんか無かった、全然近づいていなかったと分かってしまっても、それでも泳ぎ続けられるんだろう。
ほとんどの人は、ひたすら泳ぎ続けて、疲れ果てて、水の底に沈んでいくだけ。
どうせ最後は水底に沈んでしまうなら、どうせどこにもたどり着けないなら、なぜ泳ぎ続けるんだろう。
苦しいのに。
いま、この瞬間の苦しさをこらえて泳ぎ続ければ、そのうち岸にたどり着いて、ラクになれるって思っていれば、泳ぎ続けられる。
でも、いくら泳いでもどこにも着かない、って知ってしまったら、それでも泳ぎ続けられるのかな。
泳ぐのをやめちゃいけないのかな。