ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

2009年5月8日(金) 病院の後、暗い気持ちでぐるぐるする

今日は病院の日。

 

連休中のドライブについて報告する。

 

AA先生からは、「出かければ、疲れるが、疲れることは悪いことではない。負荷がかかる→疲れる→慣れる、となっていく」と言われる。

 

 

病院から帰ってから、少し涙がでる。

一瞬、大泣きの衝動がこみあげてきたけど、15分くらいでおさまっちゃった。

4月の後半から、いまいち気持ちが暗い。

その前の、4月前半は、とても明るい気持ちだったので、それに比べるとだいぶどんよりしている。

涙がじわっと出てくることが何度かある。

やはりそう簡単にはなくならないらしい。

 

涙がにじむときはいつも、Mさん、Eさん、Jさんの「3人が3人とも辞めてしまった」ことを考えている。

私は、今の職場に入る前や、入ってからもしばらくは、この職場の未来について、漠然と夢を抱いていた。今は、小さい組織なのに名前だけが独り歩きしている感じだけど、ちゃんと実力をつけて、将来は名実ともにトップとなるような組織になること。

けど、数年たつうちに、とてもムリだと実感してきた。

みな、目立ちたがりで、華々しい成果を上げることにしか興味がなくて、兵站(へいたん)=組織とか財政とか人材とか、しっかり成果をあげるための底力となるもの=を整えることに無頓着。「知名度バブル」な組織だと、つくづく思うようになった。

ろくに計画も立てず、思い付きだけで次々に新しい事業を始めて、うまくいかなくても手じまいするわけでもなく、そのままほったらかし。

私はもう、付き合いきれない。

それでもなお、私はこの職場で頑張ろうと決意して、「ちょっと上」を目指して、自分自身も含めて必死で頑張ってきたつもり。

少しでも兵站業務に向いてそうな人として、Mさん、Eさん、Jさんに期待したけど、3人が3人とも辞めてしまった。

 

勝手に期待していた私が悪かった、間違っていたのだけど。

それはわかっているのだけど、ほんとうに悲しい。

この打撃からは、まだまだ立ち直れない。

かなり時間がかかりそう。

2度と、このように他人を信じることはできないように思う。こんな風に人から裏切られるのは本当に辛い。

 

せめて、辞める前に、少しでも相談してほしかったよ、Mさん。

「もう決めた」と突然言われ、あまつさえ、経理で転職するなんて。

まだ、「税理士になる」とか「留学する」とか言われたら、しょうがないなと思ったかもしれない。

でも、その転職先での仕事って、今までの仕事と何が違うの? 

給料だって、何百万も増えるわけじゃない。

そんなにうちの職場に絶望していたの?

 

再び誰かを信じられるようになるのかな。

なりたい、いつかは。

職場に愛をもちたい。肯定できる心境になりたい。

今は無理だけど。

 

涙がぽたぽたと垂れる。

悲しい。

 

でも、昨年秋のころのような、苦しく辛いような感じではないかも。

ただ、悲しい。

自分が哀れでならない。

報われなかったことが悲しい。

希望を持てなくなったことが悲しい。

昔はあんなに、夢にあふれていたのに。

すべてなくなってしまった。

またいつか、仕事に夢を持てるようになるんだろうか。

頑張れるようになる日が来るんだろうか。

 

Mさんはいま、どこで、何をし、何を考えているんだろうか。

Mさんにとって、うちの職場で過ごした年月は、どんな意味を持っているのだろうか。

私のことを、嫌って、憎んでいたのだろうか。

 

ハナミズが・・・

 

私はあまり、上司とか先輩とかから、仕事を教えてもらったことがない。唯一仕事を教えてくれたのがKNさんだった。KNさんは本当に立派な、素晴らしいひとだった。

なのに、KNさんがいまの職場で、ほとんど誰からも評価されていないのも悲しい。

私は、うちの職場が、あまり部下や後輩に仕事を教えたりしない風潮もイヤだった。だから、M、E、Jには、積極的に仕事を教えたし、進んで仕事を教えてこそ、いい先輩、いい上司だと思っていた。

でも私のそういうところが、3人はイヤだったのだろうか、押しつけがましくて?

 

3人の能力を一生懸命引き出してきたつもり、そういう兵站業務向きの人の居場所を確固たるものにすること、そういう人たちがやりがいをもって仕事に打ち込めるようにすること、そのために心を砕いてきたつもり。

他の人たちからは、経理や総務や人事などの間接業務は、「やらなくてもいい仕事」と思われてきた。例えばHさんなんかは「会計報告書が正しく作れたからって、事業成果があがるわけじゃない」、「領収書もらうひまなんてない」、「(税務申告が必要)なんておかしいから、あなたが税務署に苦情を言いなさい」とか、ほんとうにばかげたことをしょっちゅう言われた。

地道にコツコツと正確に仕事をしようとする人が全く評価されなかった。

そういうなかで、Mさんたちを、褒めて、励まして、伸ばさなきゃと思ってきた。

でも、当人たちからダメ出しされてしまった。

じゃあどうすれば良かったの?

思い返してみても、いろんな局面で、自分はどうしたら違った結果になったのか、わからない。

自分のしてきたことの、どこが、何が、どう間違っていたのだろう?

 

そっか。

それがわからないから、苦しいんだ。

自分が過去に間違いをおかしたのかもしれないけど、どこでどう間違ったかがわからない。だから、また同じ間違いをおかして、また同じように苦しい目に合うかもしれないってことが怖いんだ。

それが嫌だから、自分が同じ間違いをおかしそうなシチュエーション(職場に行くこと)を避けたい、と感じているのかな?

「そういうシチュエーションを避ける」って、つまりは、仕事を頑張らない、職場の人に心を許さない、信じないって生き方。

ほんとうにそれでいいのかな?

そんなことで、生きてるイミがあるのかな?

だから、最近、生きるイミとか、存在意義とか、考えちゃうのかな。

 

まあ、今は脳がビョーキなんだから、しばらくは、頑張らないってことでいいんじゃない? 

また元気になれたころには、頑張って仕事したくなる条件がそろっているかもよ。

今は想像つかないけど。

 

とにかく、私はすごく傷ついてしまって、今は心に大きな傷があって、まだときどき、じくじくと血がにじんでいる。

そういうときは、あんまり傷口をえぐったり、塩を塗ったりするのはやめようね。

 

十分がんばってるよ。

すこし休もう。

しばらくのんびりさせてもらおう。

去っていった人のことは、もう考えない。

違う星の人だから、心が通わなかったんだよ。

人間じゃないんだよ、きっと。

 

泣きたくなったら泣こう。

このノートに吐き出そう。

きっとまた、思い出して泣きたくなるだろうけど。

涙がポタポタ。

 

いまは久しぶりに悲しい。

でも、ワンワン泣きたいような、苦しいような、破裂しそうな感じではない。

ただ、涙が出る。

自分が哀れ。

頑張ったのに報われなかった自分が、悲しく、かわいそう。

でもしょうがない。

すぎたこと。

違う星の人なんだから、あんまり考えないこと。

少しはいいけど。

もうやめよう。

今日は調子が悪いんだ。

ドライブの疲れ。

 

大丈夫。

悲しい日があっても、また元気になる日も来る。

波があるんだから。

泣いたって、過去は変わらないけど、泣いたって、誰に迷惑かけるわけでもない。

泣きたいときは泣こう。

 

Mさんのことが、まだ脳の中で、黒くわだかまっている。

ふとしたひょうしに、ぶわーっと出てくるんだな。

しかたない。しかたない。

泣いてもいい。