ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

2008年12月11日(木) 何もかも、途中で放り出して、余計にみんなに迷惑をかけている

いろいろ振り返っているうちに整理されてきたことがある。

 

自分の今は、やはりあの2000年のSGの発言から始まっている。

KNさんが辞表を出したあと、抗議したことが内紛の始まりだ。

抗議したメンバーの私は、内紛を引き起こした一人だ。

 

あのとき、「不正をしている」と何の根拠もなく誹謗されたのだから、KNさんのように辞表をたたきつけて辞めればよかった。

でも私は辞めないで、KNさんを辞任においこんだ人たちの責任を追及する方を自分で選んだ。自分が決めたこと。

だから、そのあと、思った以上に内紛が長引いたし、やっとあの人たちが辞めたけど、そのあとに来た人たちも酷くて、みんなが苦しんでいた時、この苦しみの原因を作ったのは自分自身だと、責任を感じた。

 

それともう一つは、内紛の最中も、そのあとのゴタゴタの間も、ずっと自分は全力を出していない、との思いがあった。

最初、3カ月くらいで解決するだろうと甘く考えていたけど、思った以上に長引き、だんだんイヤになって、逃げ腰になってしまった。

そして「自分は全力でやっていない。みんなを苦しめている張本人の一人なのに、そのあとのいろいろなことから逃げている」と思うようになった。

 

この、「今の状況を招いた責任のいったんは自分にある」ということと、「全力を出していない」との思いが重なって、自分もどこかを担わなければ、となった。

 

そしてバーンアウトして、うつ病になってしまって、いまこうやって苦しい。

 

あのとき、手を上げないでいるためには、内紛の時点で、抗議などせずにだまって退職するしか道はなかった、と今でも思う。

あのとき、辞めずにとどまることをきめたときから、自分が手をあげること、その結果としてバーンアウトしてウツで倒れることは、必然的だったのだとおもう。

決して「やりたかった」わけではない。

でも自分が全力であたれば、なんとかできると、自分を過信もしていた。

 

それまでの私は、何か全力で取り組んで、結果を出せない、という経験がなかった。

でも、けっこう本気でやっていたにもかかわらず、いろいろ失敗して、自信がゆらいでいった。

かなり強引なこと、人の気持ちを傷つけることをしたと思う。すべて「しょうがない」と正当化してやっていた。自分の親ほどの年の人を泣かせた。自分がつるし上げにあったり、抗議文を渡されたりもした。

 

Kさんがうつ病になってしまったのは、私の強引なやりかたが原因だと思う。つまり私のせい。Kさんはいろいろ板挟みになることが多く、精神的オーバーワークで病んでしまったのだと思う。

Kさんが調子が悪くなった時点ですぐに、人を補充すればよかったと思う。でも、決断できずに先送りした結果、結局Mさんが辞めるという最悪の結果になってしまった。

完全に裏目にでてしまった。見通しが甘かった、間違っていた。

 

結局自分がうつ病になってしまい、何もかも、途中で放り出して、余計にみんなに迷惑をかけている。自分にならできると過信して、しょい込みすぎた結果、かえってみんなに迷惑をかけてしまった。

いままでは、心のどこかで、「自分はやろうと思えば何でもできる」と思っていたのだろう。この年になってそんなことに気がつく、なんて、幼いかもしれないが、一生気がつかないよりはマシだ、と思うしかない。

これからは、ムリをせず、できないことをわきまえて、はたんしないようにしていきたい。