ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

2010年7月8日(木) Cさんとの面談を反すうし、どん底の気分に

病院のあと、Cさんとの面談のことを、繰り返し考えてしまっている。

 

 

(1)「本社は刺激も多い。当面はこのHオフィスで。今日のところはあなたの希望を聞くだけにする。」(by Cさん)

 

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 ヤクザと交渉しているわけじゃないんだから「今日のところは~」とかって、『言質をとられまい』とされているようで、すごくイヤな気持ちになった。

 私にへんなプレッシャーを感じさせないように、という気づかいなのかもしれないけど。

 私としては、「緋寒桜子さんに、一日も早く、本社に戻ってきてほしいと、みんな待っているけれど、あなたに一番ムリのない形でやってほしいので、当面はHオフィスがいいのでは。本社についてはまた少ししてから相談しましょう」とかって言われたかったんだな、と思う。あり得ないんだけど。

 


(2)Iさんが、あなたの後任として総務部長になった。Iさんはだいぶ渋っていたが、「やるしかない」と引き受けてくれた。(by Cさん)

 

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 ぜんぜん知りたくなかった。

 特に「やるしかないと、引き受けてくれた」のくだりは、聞きたくなかった。

 Iさんには迷惑をかけてしまっているという負い目しか感じないのに、そのことを突き付けられるのが辛い。

 あと、「渋々」ってことは、周りから推されたってことだろうから、「もう私なんか必要ないんだな」ってことを思い知らされるよう。実際、そうなんだろうけど、そのことを突き付けられたくない、っていうか。

 見たくない現実を、頭をガシっとつかまれて、無理やり「見ろ!」って強制されているような気がしてしまった。

 

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結局のところ、私は職場の人たちに、「頼りにされたい」、「頼みにされたい」って願っていたんだな、とつくづく思う。

これって、よく聞く「承認欲求」ってことなんだろうけど、私には、「承認」って言葉より、「重んじられたい/軽んじられたくない」って言葉の方が、しっくりくる感じ。

 

「私の意見に耳を傾けてほしい」ってこと。

 

別に、私の案がとおらなくても、それは気にならない。

「すごい」とか「正しい」とか評価してくれなくてもいい。

 

ただ、別の案をとるにしても、私の案について、どう検討したのか、なぜ他の案を採用するのか、その理由を教えてほしい。


「何か言っても、ムシされる、とりあわれない」っていうのが一番つらい。

「そもそも意見を全く聞かれない」とか、「員数に入れられない」とかが。

 

あ、これってやっぱり「承認欲求」か。