ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

2010年1月15日(金) Cさんが予告なく現れ、自分でもびっくりするほどショックを受けてしまった。

年明けも週2~3回のペースでHオフィスに通っている。

今日は久しぶりにZさんがHオフィスに来るということで、おしゃべりできるのを(それなりに)楽しみに、出勤した。

 

ところが、Hオフィスのドアをあけると、中にCさんがいた。

全く予期しておらず、不意打ち。

「よっ」と手を挙げて挨拶される。

私は身体が硬直してしまい、ドアを反射的に閉めてしまった。

「このまま、後ろ向いて、帰ってしまおうか」との思いがよぎり、実際、何歩か戻ってしまった。

室内からCさんのやや慌てた声が聞こえた。「お~いお~い」。

 

意を決して、ドアをあけ、中に入る。

Cさんの顔は見れず、下を向いたまま少し近づき、無言で頭を下げる。

Cさん「今日はたまたま、こっちに来る用事があったので。元気そうだね、良かったよかった」とにこやかに声をかけてくれる。

でも私は一言も発することができない。

もう一度お辞儀をして、黙って、自分のデスクに行き、荷物を置く。

心臓がバクバクし、手がぶるぶる震えている。

「今日は、外で作業しますので」と小さな声で、WHさんに伝え、逃げるように外に出る。

 

Hオフィスは庭が結構ひろく、落ち葉やらゴミなどを掃いて掃除するのも、最近の私の仕事になっていた。秋ごろは頻繁に掃除していたが、最近は寒いのでしばらくやっていなかった。本当は今日は、Zさんも来るので、屋内作業を一緒にするつもりだったけど、Cさんがいる屋内にとどまることは、とてもできず、外に逃げ出したのだった。

 

庭の一番はじっこ、Cさんのいるあたりから一番遠いところまで逃げて、竹ぼうきでひたすら掃く。掃きながら、涙があふれて、ボロボロこぼれる。掃いている落ち葉の上に、パタッ、パタッと涙が落ちて、大きな水あとがいっぱいつく。

それを見ながら、「なぜ、自分はこんなに泣いているのだろう」と不思議でしょうがない。

 

20~30分くらい、庭掃除していただろうか。

ようやく動悸も落ち着いてきて、涙もはらりはらりとこぼれる程度におさまってくる。

Zさんがやってきて、遠くから「緋寒桜ちゃん」と声をかけてくる。

その姿を見ると、また嗚咽がこみあげてくるが、何とかこらえる。

 

「ごめんね~、遅くなって。私もCさんが今日来るって知らなくて、いま会って聞いたの。緋寒桜ちゃん、びっくりしたでしょう?」とZさん。

無言で泣きながら、うなずく私。

 

「今日は外で作業してるね」と小さな声で告げていると、遠くからCさんが「お~い。じゃあ、私はこれで帰るから!」と手を振りながら去っていくのが見えた。Zさんは挨拶を返していたが、私は会釈するのがせいいっぱい。

 

Zさん「Cさんもいなくなったし、寒いから、中にはいろうか?」

私「うん・・」

 

この日は、あまり仕事にならず、早めに帰らせてもらう。

 

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Cさんには、悪感情を抱いていたわけでもないし、過去に何かひどいことをされたということでもなかった。

Cさんは、私を案じ、様子を自分の目で確かめるために来てくれたのだろう、純粋な思いやり、親切でのこと、私がプレッシャーを感じないように、わざと事前には知らせず、軽い感じで会えるよう、配慮してくれたのだろうと思う。

でも私は、予期せぬ出来事に、自分でもびっくりするほどショックを受けてしまった。

その最中でさえ、自分がそんなにも驚いて逃げ出してしまい、大泣きまでしているということが、ほんとうに不思議だった。頭で考えるよりも、身体が反射的に反応してしまった、ということなのかと思う。

このような「不意打ちに弱い」という状態は、このあとも何年かは残り、急に大きな声をかけられたり、後ろから子犬に「ワン」とか鳴かれたりするだけで、身体がすくんでしまうという症状が残った。

もともとの自分は、とくに臆病だったり、怖がりだったりということはなかったと思うし、10年後の現在も平気(ごく普通)なので、この「不意打ちに弱い」というのも、ウツにまつわる症状の一つだったのかな、と思っている。