2008年9月7日 病院に行った方がいいのかな
(8月30日に「なんだかばくぜんと不安」と書いてから1週間。いよいよ本格的に精神状態が崩壊してきてました。まずは不眠の症状が出ました)
昨夜もよく眠れなかった。
布団に入ったのは12時だけど、寝ついたのは3時半~4時ころ。
朝はなるべく同じ時間に起きた方がよいらしいので、休みの日も7時とか7時半には起きているのに。9/5(金)はお休みとってのんびりし、金曜の夜はなんとか眠れたけど、昨日の土曜日は眠れなかった。眠れるサプリと、市販の睡眠導入剤(ドリーネン)も飲んで、微熱とノドの痛みがあったので葛根湯も飲んだのに、眠れない。
まあ、眠れないといっても、ウトウトして、すぐ起きてしまうという感じかな。
こないだみたいに、まったく眠れないーー職場のことをぐるぐる考えてしまうーーというわけではないのだけど。
ウトウトしても、寒かったり暑かったり、を感じて起きてしまう感じ。
昼間もそんなに眠くない。
毎日眠れないわけではなく、2、3日に1回くらい眠れない日がある、という感じ。
やっぱり、Mさんの後任の人がちゃんと決まるのか、ほかの総務部のみんなが大丈夫か、などが不安みたい。そして、自分やIさんが倒れたらどうしようということも。
まあ、不安になるのもしかたないと思う。
どんなにうち消しても、Kさん、Eさん、Jさん、そしてMさんと、自分が期待して育てた人たちが、次々にうつになったり辞めたりが続いて、不安がうち消しきれない。
それと、職場のほかの人たちにも頼れない感じになってしまっているのが辛い。ほかのだれかが何とかしてくれると思えない。ひとりで立ち向かわなければならないようで、辛い。Iさんは確かに力になってくれてるけど、ほかの人は私より先にダメになってしまいそうで、とても頼れない。
こんな状態で、今より財政状態が好転したり、運営が安定したり、なんて本当にできるのか。Hさんがいた時の方がよかった、とは思わないけど、「あんなに苦労してHさんに辞めてもらったのに、結局こうなのか」、という落胆が大きい。
Mさんに爆弾を落とされた直後のような、激しい怒りや悲しみは薄れてきたように思う。もっとばくぜんとした、不安と悲哀感が強くなっている。
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いま、このノートの昔のところを2、3年分、読み返してみた。
まあ、飽きもせず、懲りずに、次から次へと、会社のことが書いてある。なんだかんだ言っても、会社の人たちの前だと、ええかっこしてしまう、という感じなのかな。
Nさんを、無理に〇部の後任に推さなければよかった。Nさんはちょっと暗い感じの人だけど、手堅くて良い人材なのに、〇部の人たちは「かわいげがない」とかいって、受け入れを嫌がっているふしがある。私って、どうして、ええかっこしいして、大事な人材をよその部署にあげてしまうんだろう。バカみたい。
これで、Nさんが結果として〇部でうまくやっていけなかったりしたら、もう目も当てられない。NさんをMさんの後任にすれば、今ごろ「経理の人が決まらなかったらどうしよう」とか不安になることもなかったのに。〇部は「Eさんの後任なんてしばらくいなくても平気」とか言ってたのだから、そのとおりやらせればよかった。
Nさん自身も経理への異動を希望していたのに、かなり説得して〇部への異動をようやく承知させたのに。
幹部会議で、私が場の雰囲気を悪くしている、みたいに〇さんに言われて、悔しい。
ああ、もう、何かイヤ。何もかもが。
眠いーー。考えがまとまらなくなってきた。
不安はしかたがない。不安になるな、と言ってもしかたがない。
不安にもなるよねえ。
「やっぱりダメなんじゃないか」と思うよねえ。
今の不安は、「この先、もっと悪くなるかも」という不安。
自分にとっての苦労が、さらに増えるのではないか、という不安。
もうあんな人たちなんて、どうなってもいーや、という感じ。これだけ何回も裏切られて、痛い目にあわされて。あまりもう、恩義も信頼も感じない。唯一、Iさん、Zさん、Nさんなどが心配かな。あとKさんも。それ以外の人たちは、もう私にとってはどうでもいい感じ。
うちの会社は、手を広げすぎ。なんでもかんでもやりすぎ。いくら頭数を増やしてもマネジメントをできる人がほとんどいない。
まあ、当面、距離を置こう。私って、すぐ、目のまえのことに突っ込んでしまったり、ついええかっこしてしまう。自分の首を自分で締めることのないようにしよう。私自身が心を病まないようにしよう。
不安なのはある程度しかたない。心配したってどうしようもないのに、それでも心配になって、暗くなってしまう。他のみんなは、どうやって、不安を感じずにいられるのだろう。
心配してもしかたないことを心配するのは病的よね。
不安や心配は、「そのことへの対処を、あらかじめ準備できないのだろうか」などと考えようとするからなので、対処が不可能なことを不安に思っても、得ることは、ない。
「神よ、願わくば、変えられることを変える勇気と、変えられないことをあきらめる落ち着きと、2つを見分ける賢さを私に与えてください」
だよね。
もっと大きな苦しみを抱えていても、明るく生きている人がほかにたくさんいるのだから・・。
でもそれって、ムリに明るくふるまっているのとは違うよね。ムリして明るくふるまうと、心が金属疲労を起こしそう。
それとも、明るいことを考えてれば明るくなれるのだろうか。
苦しみに耐える力に、個人差があるのだろう。私は子供のころから不安が強いたちだった。育てられ方にも関係あるのだろうけど、生まれつきの体質みたいなもの。
それでも、耐える力を強くすることはできるだろう。実際、昔に比べたらずいぶん強くなった。動じなくなった。
でももともとが弱いから、強くなるといっても限度がある。
ほかの人も、強そうに見えてもみんなそうなのかな。
はっきりとした不安ではなく、ばくぜんとした不安感。これは少し病的なのでは。
病院に行った方がいいのかな。
本気でこう思ったのは、生まれて初めてかも。
ゴタゴタの一番苦しかった時でも、実際は大丈夫と思っていたような気がする。
だんだん精神状態が悪くなっているのでは。
ちょっとまずいかな。本当に。
眠れないから不安なのか。
不安だから眠れないのか。
病院に行って、睡眠薬をもらった方がいいかな。
*1
*1:不安感が強まってきていて、そこから抜け出そうと必死にもがいています