ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

2008年8月15日 荒れ狂う心情をノートに吐き出す

繰り返し考えてしまうときは、ここに吐き出してしまう方がいい。

Mさんから退職のことを聞かされたのが7/30。
まさに青天のへきれき。その日は2時間くらい、Iさんと二人で、涙を流して引き留め、次の日もさらに1時間以上、話をした。
しかし、Mさんを翻意させることはできず、本人の希望通り、9月末で退職することになった。

やっぱり一番ショックだったのは、Mさんが事前に何も言ってくれなかったことだろう。
それにもまして、経理課のチーフという重要なポジション、重責にありながら、それも期の途中で、2か月前という短期間の申し出で、職務を投げ出すというのが、私には考えられない。
しかもMさんの部下であるKさんも、うつによる休職中。そのような中でMさんが辞めれば、経理課自体が回らなくなる。そういう状況下で、よくも平然と辞められるものだ。
そのことが信じられない。

病気になったとか家族のことなどで、急に辞めざるをえなくなることはあるだろうけれど、それならまわりの理解も得られるし、こちらの気持ちも整理できる。
でも、自分でこっそり転職活動して、転職先を決めて。しかも同じ経理の仕事。そんなところへの、何の理想もない転職で、今の責任ある立場を投げ出すというのは、チーフのすることじゃない。今までもらっていた管理職手当を返してほしいという気すらする。

Mさんは、チーフとしての責を十分に果たしていたとはとても言えない。チーフとして課を取り仕切るようなレベルではなかったし、自分から課題を解決しようともしなかった。
それでも、Mさんの潜在的能力、可能性を評価して、チーフに推したのに。
ろくにチーフとしての仕事をしないまま、途中で投げ出すとは。10年ちかく勤続していて、40歳にもなろうとしているのに。
恩をあだで返すという言葉がふさわしい。
何度考えても許せない。
Mさんの顔を見ているだけで、イライラ、ムカムカしてくる。
こんな人のために、去年、Uさんに契約打ち切りを言い渡さなければならなかったのかと思うと、悔しく、悲しい。
そんな人を頼りにし、たのみにしていた自分が一番情けない。
会社の費用で経理の勉強して、資格も取って、もらうだけもらって、後ろ足で砂をかけて去っていくということだ、あなたのしていることは。


(中略)

だいたい、なにが「協力し合う感じがないのがイヤ」だ。
そう思ったなら、その状態を変えるために、あなたは何をしたのか。転職先の会社なら、みんながイキイキ、助け合っているとでも思っているのか。
何をどう思っても勝手だが、そんなことを「辞める理由」として口に出せる神経がわからない。

==========

*1




*1:日記にあるとおり、当時、私の部下だったMさんから突然退職を告げられて、ショックを受けています。
このことをきっかけに、自分の精神状態がどんどん悪化し、やがて自分自身がうつ状態になって、休職せざるを得なくなりました。

いま振り返ってみると、Mさんのことは単なるきっかけに過ぎず、そもそもの、自分のものの考え方、対処のしかたに、いろいろ問題があったのだなぁと思いますが、その当時は冷静に考える余裕がまったくなく、吐き出しノートに荒れ狂う心情を書き出すことで、何とか乗り越えようと必死でした。