ウツ10年超え日記

うつを発症して10年を超えました。 「緋寒 桜子(ひかん さくらこ)」と申します。 2019年3月30日という、中途半端な日に、ふと、自分の「ウツ体験」をブログに書いてみようと思い立ちました。

経済より、人の命の方が、大事(絶対に!)

(うつ日記から脱線してます)

 

 

 

新型コロナの流行に伴い、「人の命か経済か」という言うような言いかたを見聞きすることが増えてますが、私は絶対に、「経済より人の命の方が大事」だと思います。

 

だって、何のための「経済」ですか?
生き延びるためのものでしょう? 
「あなたも私も、生き延びましょうよ」、という仕組みが「経済」でしょう?

 

ないと困るのは「生き延びるための手段」であって、断じて「お金そのもの」とか「経済そのもの」じゃあありません。あくまでも、お金や経済は、「生き延びるための手段」であって、逆じゃあありません。

 

「人の命か経済か」と言う人は、自分の本音を隠していると思う。
「他人の命より、自分の命が大事」って言いたいのでしょ。
単に「自分が」生き延びたいだけ。

 

なのにそれを、あたかも客観的な論評かのように「人の命か経済か」とか言っているのを見聞きすると、怒りさえ湧いてきます。

 

もちろん、誰だって、他人の命より、自分の命が大事。それが本音です。

 

人間以外の生物は、みな、死に物狂いの生存競争を日々繰り広げています。
鳥が美しい声でさえずるのは、芸術のためなんかじゃありません。子孫を残し、自分(のコピー)を生き延びるために、ライバルを蹴落とすために、必死で叫んでいるのです。

 

自分が生き延びるために必死になること自体は、醜いことでも、恥ずかしいことでもありません。(むしろ、美しい)


けれども、その本心を隠して、本当の望みに気が付かせないようにして、「国とか会社とか」の方が「個人」よりも尊い、みたいなもの言いには、断じて賛成できません。
国も会社も、すべては私とかあなたとかの「個人」が生き延びるために存在している。断じて逆ではない。

 

人間が作り出した、社会とか国家とかの仕組みは、そもそもは構成員である個人が生き延びるための仕組み。


ただ、各個人があまりにも自分の生存だけを追求すると、ヒト以前の状態、つまり野生の状態に戻ってしまいます。ヒトがほかの生物とちがうのは、この、自分の生存のために、他者と協力し合う仕組みを高度に発達させたことにあると思います。

 

余談ながら、ハチやアリなどの社会性昆虫が、良くヒトの社会と類似しているかのように語られますけれど、ハチやアリの構成員の大部分は、遺伝子が同一だし、それぞれが別個に繁殖することはできません。つまり、別々の個体が協力しあって社会を形成しているわけではない。いわば、一人の人間の細胞同士のような関係。例えば白血球は一つの細胞で、体内に侵入してきた敵(ウイルスなど)を捕食すると細胞としては死んでしまうけれど、他の細胞(仲間?)がその白血球の死を惜しんだりしないです。(そういうふうに擬人化されたマンガもありますけど)。あくまでも、一人の人間の個体を維持するための存在。
人間社会もよく、この一人の個体になぞらえられたりするけれど、全く別次元のもの。一人ひとりの人間は、(一卵性双生児など、DNA的には完全同一であっても、それぞれに子孫を残せる独立した存在) それぞれが特別な独自の存在なのです。

 

社会の維持のために、協力したり我慢したりするのは、それが「自分」の生存につながるから
「お国」が大事だからではありません。

 

同様に、経済はあくまで命を守るためにあるのであって、逆では絶対にないし、「バランスをとる」ようなものでもない。命が常に優先されるはず。

 

「破産を苦に自殺してしまうころもあるのだから、経済の方が大事」とかいう意見も見聞きするけど、「経済は回すから、あとは自分で頑張って稼げ」とか言われているようで、よけい辛くないですか? 感染の恐怖におびえながら無理してお店を営業し続け、心労でウツで自殺してしまう、っていうケースの方がはるかにありそうです。

こういうとき、「大丈夫、お店がつぶれても、あなたが失業しても、周りの私たちが助けるよ」って言ってもらえた方が、安心できるのじゃないですか? 


そもそも、「破産を苦に自殺」しないように、休業補償とか、給付金とか生活保護とかを充実させるべき問題。あるいは、非正規雇用をなくすとか。

 

経済、経済って言う人は、いまだに「全体が経済発展すれば、庶民も潤おう」っていうトリクルダウン論を信じているのかもしれないけど、そんなのはもうだいぶ前に否定されてる。

 

現金がなくたって、破産したって、周りの人に支えてもらえれば、生きては行けます。みんなが少しずつ食糧を分け合って、全体の生活水準が低下したって、みんなで我慢すれば、ぎりぎり食べる=生き延びることはできます。

 

いま、現に病気で苦しんでいる人、瀕死の人を目のまえにしても、「経済が立ち行かなくなれば、感染症対策を続けることもできなくなる」って本当に言えますか?


想像力が欠如しているとしか思えない。

 

いまは、医療、食料生産、エネルギー、生活必需品(医薬品、衛生用品、洗剤など)、運輸、道路や鉄道など社会インフラの維持など、生き延びることに必要な経済活動が優先されるのではないですか? 「経済維持」のための経済活動、ではなく。

 

私が心配なのは、世界中で食糧生産が滞ることです。

特に農業は、いまこの時期に作業しなければ(例えば田植え)、秋の収穫が0になりかねません。待ったなしです。
日本の農業は、多数の外国人研修生に支えられているのに、それらの人が来日できない状況があるそうですが、これから、本格的な農繁期を迎えるのにと、心配です。

 

しかも、世界的にも、同様な状況なので、半年後、1年後に、本当に世界規模での食糧不足が訪れるのではないでしょうか。そうなったら、「経済」どころでないです。(それとも、お金に物を言わせて世界中から食糧をかき集め、他の国の人々がどんな飢えようが、気にしないのかしらん)

 

ちょっと感情的になっているかも?

これがコロナ鬱ってやつかもしれないけれど、どうしても黙っていられないです。