2012年6月11日(月) スカイツリーへ
先月オープンしたばかりのスカイツリータワー。
連日テレビで放映されていて、話題になっている。
私はぜんぜん興味がなかったのだけど、ダンナが入場券をもらったとかで、平日に休みをとって、二人で行ってみることにした。
着いたのがもうお昼近かったのと、平日だったせいもあってか、入り口はそれほど混んではなくて、ほとんど並ばずに入れた。
だけど展望台は、さすがにかなりの人出。頭の中がもわ~っとしてきて、ちょっと苦しくなる。
周りでは「すごーい!」などとはしゃいでいる人も多いが、私はそもそも、こういう「眺める系」があんまり好きでない。だいたい、見えるのはビルばかりだし・・・。
ダンナは一生懸命に写真を撮っているが、私は早々にギブアップして、コーヒーを飲みながら待つ。早く帰りたい。
2012年6月8日(金) 「上司から『本当に復帰できるのか』と疑いの声が上がっている」
本社へ。
仕事自体は、だいぶ集中できるようになり、以前のように「へとへとになる」感じもなかった。
だが、帰りに、またもZさんにお茶に誘われ、以下のような話になった。
【Zさん】
●HオフィスのPさんは、ご家族の都合で7月いっぱいで退職することになった。
●Pさんの後任として、Hオフィスの専任に、緋寒桜子さんの名前があがっているが、どうかしら?
【私より】
●自分としては、いままでどおり、本社への復帰を最優先したい。
●Pさんの後任としてHオフィスの専任になるのは、全く気がすすまない。
↓
【Zさん】
●そうよね~。私もそう思っていた。
●『Pさんの後任』の件は、人事に『とにかく聞くだけ聞いてみてくれ』と頼み込まれたので、話しているだけだから。
●というのも、じつは、上司から、『緋寒桜子さんは本当にちゃんと仕事ができるのか、復帰ができるのか』という疑いの声が上がっている。
●自分(Zさんが)から、上司にいろいろ説明しているが、なかなか理解が得られない。
●緋寒桜子さん自身が、直接、上司と面談するってのはどうかしら?
↓
《私の内心》
◆Zさんの、いつもこうやって、プライベートの雑談のような感じでお茶に誘ってきて、重大な話を突然してくるところがイヤだ。
◆これって、処遇に関する正式な面談なの? それとも、友達としての雑談なの?
◆処遇に関する重大な話を、就業時間外にするのは止めて欲しい。
◆4月下旬にも同じ話をした。それからまだ1カ月ちょっとしかたってないのに、また同じ話をするのはうんざり。
◆結局、Zさんは面倒になってきていて、私に「自分で何とかしろ」って言いたいだけなのでは?。
◆Zさんのことを、前ほど信頼できなくなった。
↓
【私よりZさんに答えたこと】
●先日もお話したように、いまやっと、本社にコンスタントに行けるまで、こぎつけられたところ。
●上司との面談などはまだ荷が重い。もう少し時間が欲しい。
~~~~~~~~~~~~~~~
<補足>
私がウツを発症してからまもなく4年になろうとしていたとき。職場の側でも、いつまでも変わりがないように見える私に対して、シビレを切らし始めていたのだろう。
Zさんは、私と職場の板挟みになってしまい、いろいろ苦労されていたと思う。
だが私は自分の体調のことばっかりで、一番の味方でいてくれているはずのZさんへの不信感を募らせてしまうようになっていた。
2012年5月18日(金) 「相手の気を悪くさせないようにしつつ、自分も辛くならない方法を」
病院の日。
【私より】
●ゴールデンウィークにダンナの実家に帰省できた。
●通院は月1回でも大丈夫そう。自信が出てきた。
●仕事の方も、予定どおりに行っており、順調。
●最近、HオフィスのPさんが、本社とうまくいってないらしく、Hオフィスに行くたびに愚痴を聞かされるのが辛い。かといって、Pさんを避けるために本社への頻度を増やすのもしんどい。
【AA先生より】
●他人の愚痴を聞いたり、周りに頼られたりしている。余裕が出てきたということなので、良い。
●緋寒桜子さんの「面倒ごとに巻き込まれやすい」性格は、どこの部署に行っても、どんなことをしていても、常に出てくる。
●面倒ごとから「ただ逃げる」ばかりでなく、「距離を置くすべを見つける」ことが大事。
●相手の話を聞きつつも、自分の「できること」と「できないこと」を意識する。
●Pさんからの愚痴を「良い練習」と思って、「ひょいっ」と「するり」とくぐりぬける。
●「するり」とくぐりぬけるとは、「行動すること」。
●Pさんの困りごとに対して、「『力になってあげたい』と思うこと」は良い。
●実際に力になってあげようと「行動して」、その結果、「面倒ごとに巻き込まれて自分が疲れてしまう」のは良くない。
●Pさんに対して、例えば「○○さんに相談してみてはどう?」とか、「大変だね」など、Pさんの気を悪くさせないようにしつつ、緋寒桜子さん自身も辛くならない方法を、身に着けていくことが大事。
2012年5月4日(金)~5月5日(土) ダンナの実家に帰省
ゴールデンウィークに、ダンナの実家(西日本)に帰省した。1泊2日で。
帰省するのは、もちろん、ウツになってから初めてのこと。飛行機に乗るのも。
今回は、社会復帰訓練の一環としての帰省だ。
【5月4日】
羽田空港から出発。
2011年に清里に旅行したときは、特急電車の窓から景色が流れるのを見るのが苦しい感じがあったけど、今回はまったくそういうことはなく、平常心でいられた。1年弱でだいぶ回復したなあ。
まあ、飛行機からはあんまり景色も見えないけれど。
羽田空港のザワザワした雰囲気に、少し緊張した程度だった。
現地の空港まではお舅さんが車で迎えに来てくれていた。
連休のせいか、けっこう人が多いけど、田舎だからか、やはりのんびりした空気が漂っている。
運転はダンナが代わり、2時間弱のドライブで実家に着いたのが3時過ぎ。
お姑さんとは、少しずつ電話で話せるようにはなっていたけど、両親と顔を合わせるのは久しぶり。
「元気そう。安心した」と言われる。
とにかくここまでで、ものすごく疲れたので、とりあえず昼寝させてもらう。
といっても、まず、納戸にしまってある布団をダンナと二人で運んで、シーツなどを自分でセットする。
それだけのことが、今日はしんどい。
倒れこむように横になる。
やはり相当疲れていたらしく、2時間ほど眠る。
起きるともう夕食タイム。
私が寝ている間、ダンナは、農作業などいろいろ手伝っていたらしい。
私だって、今までなら、お嫁さんらしく、夕食の支度などを手伝うのだけど、今回は「何もしない」と決めていて、ダンナにも両親にも話してあった。「その代わり、ごちそうも要らないから」と伝えてあった。
お姑さんもウツの経験があるせいか、両親も良くわかっていてくれて、夕食は出前を取っておいてくれた。
4人で夕食を食べ、後片付けも手伝わずに。またすぐ寝る。
【5月5日】
朝も起きずに、10時過ぎまで寝ていた。
普段の帰省なら、最低2泊はするんだけど、今回は「行くだけ」にして、1泊だけにさせてもらったので、起きて朝ごはんを食べてちょっとしたら、もう出発の時間になった。
ダンナは朝早くから農作業を手伝っていたらしい。お疲れ様。
お姑さんとお舅さんも一緒に、ダンナの運転で空港まで行き、搭乗口まで見送ってもらう。
羽田空港からはリムジンバスで最寄り駅まで帰り、そこからはタクシーで帰宅。
夕方までには家に着いたけど、とにかくへとへと。
何にもしてないのに(実家ではほとんど寝てた)、ものすごく疲れた。
でも、精神的には落ち着いている感じ。
ちゃんと帰省もできて、両親とも普通に話せたことへの、安堵と達成感がこみあげてくる。
次に帰るときは、もうちょっとお嫁さんらしいことができそうだな。
経済より、人の命の方が、大事(絶対に!)
(うつ日記から脱線してます)
新型コロナの流行に伴い、「人の命か経済か」という言うような言いかたを見聞きすることが増えてますが、私は絶対に、「経済より人の命の方が大事」だと思います。
だって、何のための「経済」ですか?
生き延びるためのものでしょう?
「あなたも私も、生き延びましょうよ」、という仕組みが「経済」でしょう?
ないと困るのは「生き延びるための手段」であって、断じて「お金そのもの」とか「経済そのもの」じゃあありません。あくまでも、お金や経済は、「生き延びるための手段」であって、逆じゃあありません。
「人の命か経済か」と言う人は、自分の本音を隠していると思う。
「他人の命より、自分の命が大事」って言いたいのでしょ。
単に「自分が」生き延びたいだけ。
なのにそれを、あたかも客観的な論評かのように「人の命か経済か」とか言っているのを見聞きすると、怒りさえ湧いてきます。
もちろん、誰だって、他人の命より、自分の命が大事。それが本音です。
人間以外の生物は、みな、死に物狂いの生存競争を日々繰り広げています。
鳥が美しい声でさえずるのは、芸術のためなんかじゃありません。子孫を残し、自分(のコピー)を生き延びるために、ライバルを蹴落とすために、必死で叫んでいるのです。
自分が生き延びるために必死になること自体は、醜いことでも、恥ずかしいことでもありません。(むしろ、美しい)
けれども、その本心を隠して、本当の望みに気が付かせないようにして、「国とか会社とか」の方が「個人」よりも尊い、みたいなもの言いには、断じて賛成できません。
国も会社も、すべては私とかあなたとかの「個人」が生き延びるために存在している。断じて逆ではない。
人間が作り出した、社会とか国家とかの仕組みは、そもそもは構成員である個人が生き延びるための仕組み。
ただ、各個人があまりにも自分の生存だけを追求すると、ヒト以前の状態、つまり野生の状態に戻ってしまいます。ヒトがほかの生物とちがうのは、この、自分の生存のために、他者と協力し合う仕組みを高度に発達させたことにあると思います。
余談ながら、ハチやアリなどの社会性昆虫が、良くヒトの社会と類似しているかのように語られますけれど、ハチやアリの構成員の大部分は、遺伝子が同一だし、それぞれが別個に繁殖することはできません。つまり、別々の個体が協力しあって社会を形成しているわけではない。いわば、一人の人間の細胞同士のような関係。例えば白血球は一つの細胞で、体内に侵入してきた敵(ウイルスなど)を捕食すると細胞としては死んでしまうけれど、他の細胞(仲間?)がその白血球の死を惜しんだりしないです。(そういうふうに擬人化されたマンガもありますけど)。あくまでも、一人の人間の個体を維持するための存在。
人間社会もよく、この一人の個体になぞらえられたりするけれど、全く別次元のもの。一人ひとりの人間は、(一卵性双生児など、DNA的には完全同一であっても、それぞれに子孫を残せる独立した存在) それぞれが特別な独自の存在なのです。
社会の維持のために、協力したり我慢したりするのは、それが「自分」の生存につながるから。
「お国」が大事だからではありません。
同様に、経済はあくまで命を守るためにあるのであって、逆では絶対にないし、「バランスをとる」ようなものでもない。命が常に優先されるはず。
「破産を苦に自殺してしまうころもあるのだから、経済の方が大事」とかいう意見も見聞きするけど、「経済は回すから、あとは自分で頑張って稼げ」とか言われているようで、よけい辛くないですか? 感染の恐怖におびえながら無理してお店を営業し続け、心労でウツで自殺してしまう、っていうケースの方がはるかにありそうです。
こういうとき、「大丈夫、お店がつぶれても、あなたが失業しても、周りの私たちが助けるよ」って言ってもらえた方が、安心できるのじゃないですか?
そもそも、「破産を苦に自殺」しないように、休業補償とか、給付金とか生活保護とかを充実させるべき問題。あるいは、非正規雇用をなくすとか。
経済、経済って言う人は、いまだに「全体が経済発展すれば、庶民も潤おう」っていうトリクルダウン論を信じているのかもしれないけど、そんなのはもうだいぶ前に否定されてる。
現金がなくたって、破産したって、周りの人に支えてもらえれば、生きては行けます。みんなが少しずつ食糧を分け合って、全体の生活水準が低下したって、みんなで我慢すれば、ぎりぎり食べる=生き延びることはできます。
いま、現に病気で苦しんでいる人、瀕死の人を目のまえにしても、「経済が立ち行かなくなれば、感染症対策を続けることもできなくなる」って本当に言えますか?
想像力が欠如しているとしか思えない。
いまは、医療、食料生産、エネルギー、生活必需品(医薬品、衛生用品、洗剤など)、運輸、道路や鉄道など社会インフラの維持など、生き延びることに必要な経済活動が優先されるのではないですか? 「経済維持」のための経済活動、ではなく。
私が心配なのは、世界中で食糧生産が滞ることです。
特に農業は、いまこの時期に作業しなければ(例えば田植え)、秋の収穫が0になりかねません。待ったなしです。
日本の農業は、多数の外国人研修生に支えられているのに、それらの人が来日できない状況があるそうですが、これから、本格的な農繁期を迎えるのにと、心配です。
しかも、世界的にも、同様な状況なので、半年後、1年後に、本当に世界規模での食糧不足が訪れるのではないでしょうか。そうなったら、「経済」どころでないです。(それとも、お金に物を言わせて世界中から食糧をかき集め、他の国の人々がどんな飢えようが、気にしないのかしらん)
ちょっと感情的になっているかも?
これがコロナ鬱ってやつかもしれないけれど、どうしても黙っていられないです。
2012年4月23日(月)「役員が『直接話したい』と言っている」と聞かされ、動揺
本社へ。
帰り、Zさんに「お茶でも飲んでいく?」と誘われ、またいつもの軽いおしゃべりと思い応じる。
いつもの、駅前の喫茶店で、しばらくとりとめないおしゃべりをする。
ところが、30分くらいしたところで急に、Zさんから、「役員が、『緋寒桜子さんと直接話したい』と言っているんだけど、どうかな?」と聞かれる。
私にしてみれば、まだ、役員の姿を見かけるだけで、反射的に机の下にもぐってしまう状態。顔を合わすことですら、拒否感が強いのに、話しをするなど、とてもムリ。
「いまやっと、本社にコンスタントに行けるまで、」こぎつけられたところ。もう少し時間が欲しい」と返事する。
泣かないようにするので精一杯。
Zさんは、そのことをわかっていてくれていると思っていたのに、と悲しくなる。
Zさん「そうよね。ごめんね。もう一度相談してみるね。」
~~~~~~~~~~~
ウツを発症して3年半の、このころから、はっきりと、会社側の姿勢が厳しくなってきた。どうもうちの会社には「ウツは3年で回復」というシナリオ(?)があるらしく、3年以上たってもぐずぐず言っている私は、「病気ではなく、単なる怠け者」とみなされるようになったようだった。
自分としては、この時はまだ、人と話をしたり、ストレスの多い状況下で過ごすといったことはまだまったくムリ。出社するだけでいっぱいいっぱいだった。
回復してきたなと実感できるようになったのは2015年くらいからで、ウツ発症から6年くらいかかった。
コロナを封じるおまじない
コロナを封じるおまじない。
765
(なな ろく ご)
ですよ~